太閤街道殺人事件
 ←前       知多半島6       次→ 

小林優香と別れた後、清洲城へ向かった。ツアーは中村公園の後、ここを見学する。

清洲城は織田信長の城として有名。秀吉は信長の家来となり、頭角を現す。濃尾平野の真ん中に位置し、鎌倉街道と伊勢街道が合流する地点。古くから尾張の中心であった。
   
しかし、江戸時代になると、中心は名古屋に移る。清洲城も名古屋城築城の資材として利用され、廃城になった。現在建っている城は、1989年に建設された模擬天守である。

城を眺めただけで、北へ向かった。
 
行先は墨俣の一夜城跡。ツアーは清洲の後、ここを見学する。

墨俣の一夜城は美濃攻略のため、秀吉が一夜で建てたと云われる城である。川上から資材を筏にして流し、この地で組み立てた。もっとも、これは「後世の作り話」とも云われている。
 
現在の墨俣には、一夜では造れない立派な天守(墨俣歴史資料館)が建っている。

(ここも問題はないだろう)

田々和は初日のツアーに参加していない。
      
岐阜市内に入ったのは午後6時過ぎ。

岐阜はかつて織田信長の城下として栄えた。ツアーは岐阜城を見学したあと、長良川温泉のホテルに入り、初日を終える。
      
「田々和かつ也について、聞きたいことが」
   
ツアーが利用したホテルでそう申し出た。午後7時過ぎの忙しい時間帯にもかかわらず、副支配人が相手を務めてくれた。
    
新しい事実は宿泊が直前に決まったこと。

「はい。その日の午後8時過ぎ、中京総合ツーリスト様から」
   
手続きやホテル代金もすべて旅行会社が行なった。そして、翌日からツアーに参加した。

「防犯カメラの映像で確認しましたが、誰かと接触している場面は無かったと思います。防犯カメラのテープは警察が持ち帰りました」

部屋の空きがあるかどうか尋ねた。スイートルームでよろしければ、という返事であった。

 
 ←前       知多半島6       次→ 

風景
名古屋の夜景:©愛知県
風景
岐阜市街地:©フォトック
風景
岐阜城:©フォトック
    Qnewニュースプレゼンツ